情報過多の現代は、消費者みずから選ぶことが困難な「決断の過負荷」の状態にあります。
コロンビア大学の「ジャムの実験」が示す通り、選択肢が多すぎると、人は決定を回避する傾向があり、現代人は限られた認知資源を守るため、信頼できるインフルエンサーやレビューに意思決定を委ねる「選択の外注化」をしはじめています。
これからは消費者にイチから選ばせるのではなく、世界観・上位概念で選択肢を絞り込んだり、ポイントを極限まで削ぎ落とした「一択」を提示するなど、売り手側は「何を省き、何を際立たせるか」という「編集者」の視点が必要になってくると考えます。
情報の荒波に揉まれる私たち
Xさんは、週末のドラッグストアで立ち尽くしていた。
目的は「自分にあった新しいシャンプー」を探すこと。棚には50種類以上のボトルが並び、それぞれに「ダメージケア」「地肌の保湿」「アミノ酸系」「ボタニカル」といった無数の成分表記や効能が書かれている。
Xさんはスマホを取り出し、まずSNSで口コミを検索。
次にランキングサイトを開き、さらには成分解析サイトで成分の安全性と相性をチェックしはじめた。
気がつけば30分が過ぎていた。
結局どれを選べばよいかわからず、「どれも大差ないのでは」という徒労感だけが残った。最終的にXさんがレジに持っていったのは、SNSの広告で見たことのある最も有名で無難なもの。彼女は自分が「選んだ」のではなく、単に「選ぶことを諦めた」のだった。
皆さんもこれに近い経験をしたことがあるのではないかと思います。
現代は、かつてないほどの情報量で溢れかえっています。
朝起きてから眠りにつくまで、メールやSNSの通知、ニュースフィード、サブスクからのレコメンドといった情報の荒波。ECサイトを開けば、類似した機能を持つ商品が大量に並び、そのレビューは無数に存在します。
かつて選択肢の多さは自由の象徴でした。
私たちは多様な選択肢の中から自分の価値観に合ったものを見つけることに喜びを感じていたはずです。しかし今、こうした情報の荒波に揉まれることで、その前提が静かに崩れてきているように感じます。
私たちは今、「選ぶ自由」を謳歌しているのではなく、その選択肢の多さから「決断の過負荷」という慢性的な疲労に陥っているのではないでしょうか。
半数以上が「選ぶのが面倒・難しい」経験をしている
私が行ったアンケート結果を見てみると、最近1年間で、商品やサービスを選択する際、選択肢や情報量が多すぎて「選ぶのが面倒・難しい」と感じた方は、全体の5割超にも及びます。
具体的に「選ぶのが面倒・難しいと感じた場面」をたずねると、「多すぎる選択肢」が指摘されているのをはじめ、本来、選択をサポートするはずの「口コミやレコメンド」が、逆に判断を阻害した事例も見受けられます。
選ぶのが面倒・難しかった具体的な場面(自由回答抜粋)
多すぎる選択肢
・化粧品を選ぶ時に同じような効果や成分の商品が多くて、自分のお肌や症状に合うものを探すのが面倒だった(女性46歳)
・服を購入する際、選択肢が多すぎて、なかなか好みの服が見つからず、結局諦めた(女性36歳)
・動画サブスクでどれ見るかなかなか決まらない(男性33歳)
口コミが判断を阻害
・折りたたみ傘を買いたいと思いAmazonを見たが、口コミで全商品にメリットとデメリットが書かれていて、妥協できず、買うものを決められなかった(女性22歳)
・特に家電やちょっと値段の高いものを買う時に、口コミを見て意見が割れていると、どっちを信用してよいのかわからずに難しかった(女性35歳)
レコメンドが判断を阻害
・ギフトを探す際、同じような商品がたくさんレコメンドされてしまい、選ぶのに時間がかかってしまった。選んだものが最適解だったのか納得いかないまま(女性27歳)
・夏物のポロシャツを購入する時に、Amazonでたくさんのオススメがでてきて、結局ユニクロに買いに行った(男性61歳)
なぜ人は「選ばなくなる」のか
よく知られた実験ですが、コロンビア大学の心理学者シーナ・アイエンガーが行った「ジャムの実験」は、こうした人間心理の本質を端的に示しています。
店頭で24種類のジャムを並べた時と、6種類だけを並べた時を比較した結果、圧倒的に売れたのは6種類に絞った時でした。人間には、選択肢が多すぎると逆に決定を回避してしまうという性質があり、認知科学ではこれを「選択のパラドックス」と呼びます。
情報が溢れ、意思決定の機会がインフレを起こしている現代社会では、冒頭で紹介したような「決定回避」が私たちの日常の至るところで起きています。
だからこそ、今の賢い消費者たちは「自分で試す」という行為に時間を割くのをやめ、信頼できるインフルエンサー、あるいは詳細なレビューの先にある「誰かの結論」に飛びつく、といったような「選択の外注化」をしはじめたのです。
これは単なる「思考停止」とは言い切れません。
消費者が「選ばなくなった」のではなく、効率化という思考のもと、「誰に選ばせるか」を選ぶようになった、と捉えられるかと思います。
賢い消費者たちは、限られた時間と認知資源の中で、失敗のリスクを最小化し、最短で最適解に到達しようとしているのです。
「誰かに選ばせる」-世界観・上位概念による絞り込み
こうした選択行動の変化は、マーケティングの構造を大きく書き換える可能性があります。
これまで売る側は、いかに優れた商品を作り、いかに多くの選択肢の中で選ばれるかを競ってきました。しかしこれからの競争は、消費者の意思決定を「代行できるかどうか」が問われるようになってくると感じます。
多くの消費者は、もはやあらゆる選択肢を比較したいとは思っていません。
求めているのは「信頼できるフィルター」を通した、納得感のある選択肢です。
例えば、クラシコム社が運営するECサイト「北欧、暮らしの道具店」は、「フィットする暮らし、つくろう。」がミッションで、オリジナルのドラマ制作や読みもの、ポッドキャストといったさまざまなメディアを駆使し、その世界観を醸成。こうした取り組みが奏功し、固定ファンを獲得したことで、増収増益を続けています。
https://hokuohkurashi.com/
重要なのは品揃えの多さではなく、世界観や上位概念となる価値で選んでもらうこと。
そうした意味で、これからのブランドはセレクトショップ的な価値フィルターを提供することが必要になってくるのではないかと考えます。
「なぜこれを選び、なぜそれを省いたのか」その判断の背後にある哲学、すなわち文脈こそが選択する上での価値になるのではないでしょうか。
「そもそも選ばせない」-選択の余地を省くアプローチ
一方、機能やサービスそのものを極限まで削ぎ落とすことで、消費者を選択の迷路から救い出す、といった方向性もあるかと思います。
例えば、最近徐々に増えている生姜焼きやニラレバの専門店は、単にメニュー数を減らしているのではなく、「何を食べるか」という意思決定そのものを店選びの段階で前倒しさせています。
本来、消費者は「店を選び、さらにメニューを選ぶ」という二段階の意思決定を行いますが、こうした専門店では、そのプロセスが一度で完了することになります。
また、サンコー社の「おひとりさま用超高速弁当箱炊飯器」は、0.5合分のお米を最短14分で炊き上げる炊飯器です。容量や予約機能などを切り捨て、「素早く炊き立てのお米を一膳分食べられる」ことにフォーカスした戦略は、「迷わせないマーケティング」の好例といえるのではないでしょうか。
https://www.thanko.jp/view/item/000000003453?srsltid=AfmBOorigzVufoEQxhcsC6VpC1efxlEL2URBvMrzKT7CuSW1O1ozULr1
このように溢れる選択肢の中で、特定のメニューやシーンに特化し、「これ一択」と言い切るシンプルな強さが、結果として消費者のニーズに応えるケースが出てきています。
「選択の外注化」は、誰かに意思決定を委ねたり、選択肢を狭めてもらうものでしたが、専門店や炊飯器の事例のような特化型は、そもそもの「選択の余地を省く」アプローチと捉えることができます。
まとめ:売る側に求められる「編集者」視点
これまでのマーケティングは、消費者に選ばれるために、選択肢を増やし、情報を盛り込み、比較優位を説いてきました。しかし、情報過多となった現代において、その手法はむしろ消費者を疲弊させ、遠ざける要因になりかねません。
今の消費者はイチから自分で選ぶというより、「誰に選んでもらうか」という要素が強まってきています。
売る側に求められているのは、消費者に代わって「何を省き、何を際立たせるか」という「編集者」としての視点です。
消費者が選択の外注をするということは、その情報源に「自分の貴重な認知資源を預けてもいい」と信頼を寄せている証でもあります。その信頼に応えるためには、企業側が機会損失を恐れずに、自らの意志で選択肢を削る勇気も持たなければなりません。
消費者は選択したくないのではありません。
「考えさせられること」に疲れており、あくまでも選択する労力を省力化したいのです。
彼らに対して必要なのは、大きな地図を用意してあげることではなく、迷わず進める進路を指し示してあげることです。
編集者視点で引き算の美学を持ち、凛とした選択肢を提示することこそが、情報過多の時代における、誠実なマーケティングの姿になると考えます。





